不登校だった僕が、青春を取り戻すまでの話
はじめまして
にきと申します。
2003年1月1日生まれの現在22歳、社会人として働いています。
実は僕、小中学生時代に約6年間の不登校を経験しました。
当時の僕は、「将来一人で生活するなんて無理だ」「働くなんて想像もできない」って思っていました。
この記事では、不登校だった頃の体験を包み隠さず綴りたいと思います。
同じように苦しんでいる学生さん、そしてその保護者の方に、少しでも希望や気づきを届けられたら嬉しいです。
・小中学生時代に約6年間の不登校の経験
・今現在、社会人として生活ができている事実
楽しかった小学生生活、そして悪夢の始まり
平成22年4月
僕は期待に胸を膨らませて小学校に入学しました。
毎日が楽しくて、給食を食べ終わったらクラスメイトとグラウンドで遊んで、笑って、はしゃいで……あの頃は本当に幸せでした。
でも、その幸せは突然終わりを告げました。
小学生3年になった頃から、クラスメイトに避けられるようになったんです。
体育の時間、みんなで「けいどろ(警察と泥棒)」をしていたときのこと。
僕に対して露骨に嫌な顔をして逃げる女子、それを見て笑う男子、僕の存在を無視する子たち。
最初は「気のせいかな」と思っていました。
でも、いじめはどんどんエスカレートしていきました。
・容姿をからかわれる
・「菌」扱いされる
・無視される
正直地獄でした…。
不登校のきっかけになった出来事
ある日いつも通り一人で下校していた僕にあるクラスメイトが走ってきて、僕のナップサックを奪い、遠くに投げ捨てられました。
その子はそのまま笑いながらか走り去っていきましたが、学校での出来事もあり、悔しくて悔しくて「当たるわけない」と思って石をその子に向かって投げました。
でも、その石が運悪くその子の頭に当たり、大けがをさせてしまったんです。
僕は、怖くなって投げ捨てられたナップサックを手に取り逃げるように家に帰りました。
そのあと学校から電話が着てすぐに校長室に呼ばれて、保護者同伴で謝罪させられることになりました。(私の父は仕事で不参加)
でも、僕が納得いかなかったのはそのあとのこと。
相手の父親がめちゃくちゃ怒鳴ってきて、「あんたの子育てが悪いから、うちの子を大けがさせたんだろうが!」って私の母に向かって責め立ててました。
でも私の母は何も言えず、ただただ頭を下げて謝ることしかできませんでした。
僕は思いました。
「なんで僕が悪いの?」「なんで謝らなきゃいけないの?」
ナップサックを奪って投げ捨てたのはそっちなのに、ずっと学校でのいじめに黙って我慢してきたのに、一度やり返したら「加害者」にされる。
その後相手からの謝罪はいっさいなく、その瞬間僕の中で何かが壊れました。
家族以外は全員「敵」だ、そう思うようになってしまったんです。
先生も、学校も、相手の親も、誰も僕の気持ちを理解しようとしてくれない。
味方が誰もいない世界で、唯一側にいてくれた母ですら何も言えなかった。
それから僕はこの事件以来学校に行かくなくなりました。
外の世界と関わるのが怖くなって部屋に閉じこもるようになり、「また何があっても、僕が悪者にされる」そんな風にしか、もう考えられなかったからです
引きこもり生活と、ゲームの世界で見つけた光
ゲームに没頭する毎日。
その中で特にハマっていた、オンラインRPG「ドラゴンクエストⅩ」
このゲームには、現実では得られなかった安心感がありました。
一緒に冒険してくれる仲間、話を聞いてくれる人、笑い合える時間。
ある日、ゲーム内の「コロシアム」で出会ったこと仲良くなり、毎日のように一緒に遊ぶようになりました。
その子は2歳年下の女の子で、僕は自分のことをすべて彼女に打ち明けました。
僕の過去を知ったら、きっと離れていく。そう思っていたのに…。
でも彼女はこう言ってくれたんです。
「それでもいいよ」
「私が全部受け止めてあげるから!」
そう言ってくれた彼女に、僕は救われたんです。
そうして、気づけば僕たちは付き合っていました。
僕にとって、初めて自分を否定しない人に出会えた瞬間でした。
中学生、そしてまた始まったいじめ
その子との出会いもあり、僕は「もう一度学校に行ってみよう」と思えるようになりました。
中学生入学式に参加し、テニス部にも入部。
部活動が中々ハードな練習が多く、気づけば体重がかなり落ちていました。
すると、今まで自分をいじめてたような女子たちが話かけてくるように。
「これ食べられないからあげるね」と食べかけのパンをくれたり、こっちを見て笑ったりと。
でも僕はただただムカつきました。
「すこし見た目が変わっただけで手のひらを反すなんて、なんなんだよ」
そんな気持ちが芽生える一方で、男子たちからのいじめが再熱
・自分がいない隙に机を蹴りまくる
・暴言や肩パン
そして僕は、再び学校に行かなくなりました。
また不登校、そして深夜の1人の時間
引きこもり生活に逆戻りした僕は、ゲームの他に、夜中に1人で散歩をするようになりました。
イヤホンで周りの音を遮断して、ただただ歩く。
お気に入りの曲は「星色夜空」
真っ暗な空の下、誰もいない公園で聴くその曲は、僕の心を少しだけ癒してくれました。
高校進学、そして新しいスタート
出席日数も学力も足りず、進学は絶望的かと思っていました。
でも、担任の先生が家に訪ねてきて、こう提案してくれたんです。
「不登校の生徒を受け入れてくれる高校があるよ」
「きっと君にあってるよ」
正直、信じられませんでした。
何度も「大丈夫」と言われて裏切られてきたからです。
でも、家族の強い後押しもあり、高校進学を決意しました。
そして始まった僕の青春
高校入学後、すぐに友達ができました。
後ろの席の子に声をかけられたのが最初。
そこから少しづつ、自然と友達が増えていきました。
そして、僕の青春を変えた出会いがあり、
それは「よさこいソーラン部」との出会いだったんです。
部活動紹介の発表で、目が離せなくなったんです。
力強い踊り、掛け声、音楽、心が一気に奪われました。
「かっこいい……!自分も、あっち側に行きたい」
そう思った僕は、すぐに入部を決意。
緊張の中、一年生は僕を含めて2人でした。
めちゃくちゃ緊張してた僕に、
もう一人の子が「よろしく」って声をかけてくれたとき、本当に救われた気持ちになりました。
先輩たちも優しくて、振り付けも丁寧に教えてくれて、やっと自分の居場所が見つかったような気がしました。
25時間駅伝大会
でも、その決断を少し後悔するくらい、練習はとにかくキツかったんです(笑)
長い間不登校で体を動かしていなかった僕は、数分走っただけで息が上がり、毎日「ひいひい」言いながら練習していました。
歩こうとしたら、後ろを走っている先輩に背中を押されて「走れ!」と強制的に走らされたことも…。
さらに、構内を10周する練習では、28人(女子も含む)の中で、毎回最下位でゴールしていました(笑)
練習の段階では「なんで参加しちゃったんだろう…」と後悔ばかり。
でも、本番の日を迎えると、不思議なことに緊張は最初だけで、次第に「楽しい!」という気持ちの方が大きくなっていきました。
28人交代制で走るので体力的にも余裕があり、「あのキツかった練習は何だったんだ?」とツッコミたくなるほど(笑)
夜にはみんなでバーベキューをして、友達がご飯を食べている途中に「次、お前の番だぞ!」と慌ててスタートラインに立つハプニングもあったりと、とにかく楽しい時間でした。
一応寝ることもできたのですが、テントの中がみんなの汗と足の匂いで臭すぎて、僕は結局ずっと起きていました(笑)
「本当に、この学校に来てよかった」
結果として49チーム中 403周 第3位入賞することができました。

新型コロナウイルスと青春の終わりのような日々
2020年4月、全国に緊急事態宣言が出され、学校も全国的に休校となりました。
新型コロナウイルスの感染拡大が一気に広がり、世の中が混乱し始めた時期です。
文化祭や体育祭といった学校行事、部活動、そして友達との交流までもが次々と制限され、「自分たちの青春が突然終わってしまったのではないか」そう感じるほどの日々が続きました。
卒業式(それぞれの道へ)
気づけば、あっという間に卒業の日を迎えていました。
小中学生のころに比べると、時の流れが本当に早く感じました。
それもそのはずで、高校生は楽しい行事がたくさんあったし、友達と遊ぶ機会が増えたり、部活動や25時間駅伝大会もあったりと、楽しいことだらけだったんです!
これ以外にあったはずの行事が新型コロナウイルスでたくさんなくなって、残念だなと思う気持ちもありますが、それでも間違いなくこの数年間は僕にとって「青春」と呼べる時間でした。
そのすべてが、今でも僕の心中にしっかりと刻まれています。
最後に
高校を卒業した後、私は進学の道を選びました。
気づけば時は流れ、成人を迎えることに。
これが、その成人式で撮った写真です。
かつて不登校だった僕がこうして友達と一緒に成人を迎えられる日が来るなんて、あの頃の自分には想像もできませんでした。
ここまで成長できたのは、何より家族のおかげです。
高い学費を負担してくれたこと、不登校だった僕を責めずに信じて見守り続けてくれたこと。
その支えがあったからこそ、今の僕があります。
最後にこの場を借りて、家族へ心からの感謝を伝えてこの記事を終わりたいと思います。
進学できたのも、成人を迎えられたのも、すべては家族の支えがあったからこそです。
感謝してもしきれません。
こんなバカな息子を見捨てることなく、最後まで育ててくれて本当にありがとう。
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